広告の質、情報の質

いつもの釣り記事。
有害情報とフリーライダー

これはコンテンツの価格がゼロなので客がたくさん集まればよく、質を保つインセンティブがない(民放と同じ)ことが根本原因だが、インターネット広告産業がまだ成熟していないことも一因だろう。今後、まともな広告主は愚劣なコンテンツの多いサイトには広告を出さないといった選別が進めば、コンテンツの品質管理をきびしくして大手企業の広告を集めるか、何でもありにしてポルノサイトの広告を集めるかの二極分化が起こるのではないか。単にアクセス数を競うのではなく、サイトの質を審査して広告単価をAAA、AAなどと格付けする機関ができてもいい。

最近、広告について考えさせられる本を読んだばかりだったのですごいタイムリーだった。

書籍『トヨタの闇』読了

とはいうものの一番印象に残ったのは、「第一章 トヨタの本質はなぜ報じられないか」だったりする。 ネットを含めた各種報道機関がトヨタ記事をどう扱っているかに触れたのが興味深かった。 広告依存のビジネスモデルとジャーナリズムの相性の悪さは致し方ないものか。 広く薄く広告主を集められるモデルだとまだ成立するのかもしれないけど、・・・まぁそういうのって数を回さないと利益にならないわけだし、やや困難。


大概の媒体であれば、「広告審査」というものを行っているのだが、「広告」は所詮「広告」でしかないわけだし、それらをモラルとつなげて考えようというところに土台無理がある。
有害情報よりもアンタッチャブルな情報ができてしまうことのほうが怖い気もするし。

ってか、池田氏はブランドというものを信頼しすぎ。
新聞やテレビ等と異なり、ネットって情報発信コストが低いわけだし、今まではメディアの寡占的状況が広告のブランドを維持してきたとは思うけど、同じ方法が通用するはずはない。
有害情報と戦う為の一つの手段としては「同じ土俵で戦わないこと」だと思うのだけど、それでもやはりブログ的表現に固執してしまうのか。