優秀なプログラマは休める

脊髄反射

優秀なプログラマは取替えが利く?

注意しなくてはならないのは、「優秀なプログラマの取替えが利く」という表現が真になるのは、「優秀なプログラマがある程度関わって、途中まで作業をしたプロジェクトに限定される」事です。新しいプロジェクトが発生したときには、取替え要員は「優秀なプログラマ」の代わりにはなり得ないかも知れません。

「優秀なプログラマは取替えが利く」
というより、
「優秀なプログラマは休みをとっても許される」
というのが正確ではないかと。

やはり優秀な人がそうでもない人に変更されるとプロジェクトの質はどんどん劣化していくよ。
あと、これは別にプログラマに限った話ではないと思う。

また「外部化能力に優れている」というのは「優秀」の定義の一つにしか過ぎない。
実装速度が速いとか要求理解能力に長けているとかはまた別の話。

それと引継ぎのときにラクなのは「自分と同じような職責感覚、美的感覚を持っているか否か」ということかな。
もっと端的に言えば、「好み」ということかもしれない。

ドキュメントの正規化

ところで、こういった正規化の試みにより、文書の更新性は上がるだろうが、閲覧性は下がるだろうな。 調査とかしたわけではないけど、プログラマが作業効率にあまり影響を受けずに同時に参照できる文書って3つぐらいまでで、それより増えると文書から情報を探す手間のロスが目に付くようになると思う。 自分の欲しい情報だけがA4一枚に収まっているのが一番いいのだけどもね。 Wikiを改造したものだったり、オンラインにすればそういったことも可能なのかしら。


Webベースの管理か、ファイルベースの管理か、で結論が出ていない組織も結構あると思うし、何がいいのかというのは人それぞれ。
だからこそ、システム開発には「宗教」が必要なのかしら、と思うのだけど。
信仰が同じ人同士だと仕事はやりやすいしね。