中華料理も日本料理もみんな同じ料理人

情報サービス産業の神話と展望

製造業では大きな問題にならなかった重層的な下請け構造が情報サービス産業で問題となるのは、製造業の下請け構造が部品納入という製品事業であるのに対し、情報サービス産業の下請け構造が役務提供であることだ。部品納入企業の生産性が向上すると差額分は内部留保となり再投資にまわるが、ソフトウェア開発の生産性を高めても水増し請求するのでない限り中長期的に利益率は悪化してリスクが増大する。 製造業の下請けでは生産性向上に投資した企業が継続的なレントを期待できるが、情報サービス産業では生産性向上によるレントが一瞬しか発生しない割に工数見積もりの精度が悪化するなどリスクが大きい。その結果、新技術の研究や従業員の教育に投資するより、販管費を抑え、マージンを増やし、技術者の稼働率を高めた方が経営戦略として合理的な場合が多いのではないか。(つづく)


(つづく)とあるのは、このままだと価格の叩き合いになるのは見えているが故に、これを超えるアイディアが必要だ、ということか。

ただ、「人出し」が期待されるような業務は人材派遣業、或いは個人事業主にもう任せてしまっていい気がする。
低価格競争であれば、海外アウトソーシングすべきというようにもう結論が出ている。

生産性向上などを水増し請求と定義づけるならば、例えば、デザイン業界は水増し請求だらけなのだろう。
原価主義は恐るべき罠というか、そこに近すぎてもいけないし、遠すぎてもいけないとは思う。

システム開発はあまりにマジメにやり過ぎたというか。
料理などは料理人の腕前によって味付けが変わり、それ自体がブランドとして認識されている。
一般的なシステム開発は「正しいやり方」を行えば、完璧な料理が作れる・・・、つまり公式さえきちんとしていれば常においしい料理ができると宣言しているようなものだ。
質はあって当たり前なのであって、そこに優劣など存在していない。
中華料理も日本料理もみんな同じ料理人で作れることになっている。

「なんでもできる」ということは「なにも得意なことはない」ということと同義だったりするのだが、そこの部分を「過剰な労働力の水増し」で乗り切ろうとしているのが、つまりは人月方式か。
いや、でも実際に「なんでもできる」と宣言し、「なんでもやろうとする」会社が如何に多いか、とか。

それと料理人がこだわっているのは、ガスで作るかIHで作るかということだったりするが、客からしてみればそんなことはどうでもいい。
が、「IHで作れば今までの3倍の速度で料理が出てきますよ!」というのがウリだったりもするのか。