コードを書くことと生きることとか

コードを書くことと生きることってどうつながってるんでしょうか?

具体的に言うと、文章やら絵やら演劇やらの表現活動って、その人の生と直結してる感じがするじゃん。政治活動とかデモとかも自分が生きることと世界とつながってる感じがするじゃん。でも、美しいコードを書くこととが、生とどうつながってるのかがよくわからない。


「美しいものを作りたい」という哲学(美学、こだわり)には直結するだろうけど、「どう生きるべきか?」という意味につながるかどうかは二の次だと思う。
自分の生を伝えるのならば伝えたい人にだけ伝えればいいし、そもそも「生の意味を伝えなければならない」という定義も疑問だ。
やりたい奴がやればいいと思うし、多くのプログラマはそれよりも目の前のコードを如何に美しくするか?に快感を覚えるので仕方がない。

コンピューターエンジニア独特のニヒリズムがあるように思うんですが

コンピューターは人間が求めてるし、実際にIT関連の仕事って何だかんだ注目の的で、いくらエンジニアといっても、人との関わりの中で仕事をしています。だから金も動く、お給料も貰えます。でも、コンピューターやネットに対して僕はしょせんコンピューターの中の世界でしょって虚しさがつきまとう。それはある。今の時代がそもそもニヒリズムに満たされてると言えるが、やっぱり、コンピューターエンジニアにはコンピューターエンジニア故のニヒリズムがあると思います。


ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、
どうしようもないバグを作りこんだ時、「しょせんコンピュータの中の世界でしょ」とたまには自分に言い聞かせる。
あと時間がなくて「えいや!」で美しくも何ともないコードを大量に書かなくてはならない時とか。
プレッシャーから逃れる為の自己防衛なのか、物事をとにかく回していく為の割り切りなのか。
結果としてうまくいくことが多い気もするしね。
いやぁ、人の生き死に直結しなければ、どんな失敗も大したことじゃないんだよ。

といいますかね、
エンジニアに限らず、営業とか企画とかも
「こんなモノ売ったって人々の幸せに貢献するはずないよね?」
みたいなニヒリズムがあるんじゃないか、とか。

まぁ確かに「クライアントの喜びの言葉」に接する機会が少ない分、
人との関わりこそがモチベーションとなる!って図式は非常に当てはめにくいだろう。
ってかさ、コードが好きな奴らにしか長くは続けられないと思うし、
そうじゃない人々にもコード書かせたりするから、とんでもないコードが出てきて、にっちもさっちも行かなくなるんだよね。
といつの間にか業界批判。