学校の授業とか

無駄だらけの現代授業を最適化しよう

なんというか、「教義の伝達」と「思考力の育成」という2つの側面があって、
現代授業においても前者に無駄が多くて多大なリソースが割かれている、ってことなのかな。

コメント欄とかだらだら読んで思ったけど、多くの日本人にとってもっとも破壊しがたい文化って学校文化じゃないのかな。
判断力がついた頃には、直接的な利害関係は薄いわけだし、それを語るのはノスタルジックなものしかないわけだし。

生徒の質に合わせた教え方があって然るべきなんだろうけど、そもそも、最大公約数的な教育手法をとろうとしているところが「あれ?」なんじゃないのかな。
「教師の前に列を作って質問をする生徒」と「授業が理解できなくてつまらんのでボイコットする生徒」に対して、同じメソッドを通用させなければならないというのが問題なんだろうね。

授業には適度な無駄が必要である

弾言しよう。 高効率授業しか受けていない者は、低効率現場において右往左往するだけである、と。


ってかさ、低効率現場・・・実際のプロジェクトとかは答えはないはノイズも多いわでそれこそ低効率なんだけど、
それへの適応能力を向上させるような教育的取り組みって別にやってないよね?とは思う。
それはそれでやるべきなんだよね。
でも非効率な箇所が多くてそれにあまり時間をとれないよね。
だから効率化できる部分は効率化しようよね。
ってことだと思うけど。

そもそも高効率の最適解やパターンをいくつか知っている状態でないと、実社会でも低効率を高効率化するのは時間がかかるよ。

一時期、進学校の必修履歴漏れが問題になったけど、
これも授業の最適化(この場合は受験)がねじれた形で出てしまったものだと思うよ。