未来サミットだって、とか

だらだら読んだ。

「エンジニアの未来サミット」に行ってきた
昨日(9/13)の日記〜エンジニアの未来を別のところで感じた。

いくつか。

泥云々なんてのもそろそろいい加減にして欲しいなぁ。世の中にはいろんな産業があってさ、僕のエンジニアとしてのアイデンティティは完全にソフトウエアではないから余計にそう思うのかもしれないけど、ソフトウエアを作りたい人が勤める会社ってのは別にネットベンチャーSIerだけじゃないのよ。ほおっておいても学生は学生なりに真剣に考えていて、例え泥だなんだと言われようと行く人は行くだろうし、それそのものの良い悪いでも、泥でも泥じゃないじゃなくて、その会社は何を目指してやってるのか?に共感できるかが一番大事なのでは?


まぁ共感は大事なんだが。

東芝HD-DVD撤退を発表して、そこのエンジニアはどうなったのか?とか、
今後、携帯電話事業やPC事業の統廃合が加速化して、そこの人材の行く末を想像すると、
「企業の方向性とエンジニアの方向性がマッチして幸福」なんて呑気なことも言ってられない気がする。
たとえどんなに魅力ある企業でも一蓮托生に徹しきれないのはエンジニアの宿命なのかもしれん。

話は変わるが、昔勤めていた会社の上司が最近そこを退職したらしい。
一応、役員にまで出世したが、その後彼の関わったプロジェクトがうまくいかず、責任をとる形で降格、
で、やはりそれで納得しなかったのか、結局退職したのこと。
新卒から入っていたと思うので、おそらく20年近く勤めていたはずなのだが、そういったオチを聞くと、
なんだか人生って分からないよな、とぼうっとする。

ブラック企業についてだが、

『暴走する資本主義』読了とか

この本を読んで思ったのは、ブラック企業への方向性というのは企業の遺伝子として埋め込まれているものであり、
労働争議的なアプローチがムーブメントになればそこからへの改善は期待できるのだろうけど、
現状を見る以上、労働法的なもので縛っていくしかないのだろう、とは思う。
個々人でできることであれば、社外に友人関係を作っておき、「客観視できる視点を持て」ということなのかな。
いざとなれば逃げろ、と。

「逃げろ」と簡単に言ってしまったが、
僕自身最初の転職のきっかけは上司の同級生の紹介という会社のラインとはちょっと外れたところだった。
そもそも、ブラック企業だからイヤ!とかではないのだが、当時の会社のやっている業務領域に共感した記憶はあまりない。
そこの業務を今やりますか?と問われると、間違いなく首を横に振るだろう。
だから「じゃあその出会いがなかったらどうなってたの?」と想像すると薄ら寒いものがある。
チャンスを掴む最良の策はフットワークを軽くして「出会い」に対して躊躇しないことなのだろうな、と。

下請け企業がハッピーになれるかどうかは、経営者の資質次第。
自社の強みの源泉を技術力(開発速度やプロダクトの品質)そのものではなく、稼働単価でしか考えられない経営者というのは間違いなく存在する。
業務ドメインへの習熟度は考慮されるが、新技術の勉強とかはあまり考えない。
下手をすると、習熟度すら全く考慮されず、「プログラマ3年やったから次はサブリーダね」とか、経験年数によってスキルの転換をうながす。
ニーズがある以上、そういった企業はなくならない。
「PGよりSE、SEよりPM」という信仰にどっぷりとハマれば、そういった状況もあまり苦にはならないんだろう。
そもそも、報酬も上がることが多い訳だし、特にそれで何が悪いということでもない話だろう。
個人的に腑に落ちないのは「PGを3年やったから次SE」とか「3年」という社内ルールに強い根拠はないにも関わらず、絶対不可侵なものと考える人々が多いということだろうか。

そこに観客から「ぬくぬくしている環境で働いているように見えた」と言われた。


あまり競争の最前線だったりエンドユーザの声にさらされないという側面はあるだろう。
つまり分かりやすい敵・・・というか攻略対象の不在。
逆にストイックなものを要求されるから好きな人しか続かないという部分もあるかと思う。

それと、電機面白いよみたいな話が出ていたが、

メディアより電機業界とか

「3年後にテレビをとりまく環境がどのようになっていれば楽しいですか?」
みたいな問いをしてもいいのかなぁとか。
テレビに何をつける?ネットワーク?カメラ?マイク?タッチスクリーン?
或いはライフスクリーン構想?
Panasonicのビエラキャスト、そしてライフスクリーン