スーパープログラマって

ソフトウェア工学とスーパープログラマは両輪

現実問題、能力の差ってのは存在する訳だが、それはまぁ現場判断で動いているというか、できる人ができない人のタスクをカバーすることにより、全体としては帳尻を合わせているとかは普通にある。
ただ、それを計画に組み込むのはどうなのよ、リスクが大きすぎやしないかね。
実のところ、属人の能力に過度に依存しようというのは、
「既に期間も不足しておりますし、適切な計画を立てることは難しいですが、ウチのエンジニアは優秀ですので、気合いで頑張ります」
というデスマーチ予備軍と本質は変わらないとは思うし。

可能性があるとすれば、「人」ではなく「チーム」として、生産単位をとらえて、 まぁ、デスマ的プロジェクトの多さを考えると、見積もりの甘さもあるのだろうが、スーパーなプログラマより普通のプログラマのほうが圧倒的に多いというのが現実なのではないかと思う。

ただ、計画的アプローチがあまり当てはまらない現場も普通にあるし、やりたいようにやれる人はそういう現場を選んでやっているとも思うし、能力のある人の才能を使い潰している・・・程は現状はひどくないとは思う。

ソフトウェア開発と漫画家体制
優秀なエンジニアは優秀なエンジニアを育てられるとは限らない、とは思うのだが、どうなんだろうね。

「トップ営業マンを見習うな!」とか

「スーパープログラマはスーパープログラマを育てられない」という命題を立てたとしたら、それの真偽はどうなのだろうね。 営業マンの場合は「ムリ」と断言しているわけだが。 プログラマにも「コードが好きになれるか否か」と重要な資質があるわけで、そのへんは営業マンと同じかもしれん。