信仰とか

信仰についてふと思ったこと。

日本では、和を持って尊しとなすというか、
「人様には迷惑をかけるな」というのが子供に叩き込むよくある倫理観の気がする。
脳内欧米人の話だけど、
多分、神っていうのは自分の価値観の映し鏡でしかなくて、
神への信仰心というのは要は「自分の価値観に恥ずかしくない生き方をしなさい」ってことかぁ、とも思う。
だから、周囲の空気に流されて、会社でもムダな残業とかしてしまう件で、
「他人の目を気にしてしまうから帰れないなんて、それは個人が確立してないというか、クレージーじゃないかい?」
という突っ込みを欧米人から受けてもおかしくないのだろうな。

神という視点があれば、第三者的に自分の行いを評価するのは割とスムーズなのだろうけど、
そういった仕組みを持たずに「自分のことは自分で判断しなさい」となると、
喜怒哀楽の波に溺れて感情的になっている自分も自分といえば自分だし、
じゃあどこに軸足置けばいいんだよ?ってのはすこぶる困難になるのだろう。

大体、自分より他人の考えを尊重する文化圏において、ベンチャー企業が沢山できるとは思えない。
ベンチャーって不確実性に対する楽観的態度がなければできないものだし、
「無謀だ」と他人が止めようがなんだろうか、「自分の神(価値観)に従えばこれはやるべき」ってならないと、なかなか起業という手段には至らないのだろうな、とか。

キリスト教とかだと「懺悔室」みたいなものがあって、
「神の前では真実を話さなくてはならない」みたいになっているけど、
日本の場合、「真実を墓場まで持って行くこと」が人として潔い生き方になっていることとか、
真実を明らかにするより和を重視する生き方のほうが大事だということか。

まぁ別に欧米人にこのへん聞いた訳ではないから、妄想なんだけど。