文脈的技能と専門的技能とか

GWはだらだらやってます。

社畜はいかにして生まれたか

このような社畜状態を家族主義とか「人本主義」などという言葉で美化する傾向は、財界から労働組合に至るまで共通だが、彼らの既得権の外側にいるフリーターはそんな価値を信じていない。そしてグローバルな水平分業によって日本型の文脈的技能の価値は低下し、ポータブルな専門的技能が重要になっている。時代は、大正期の自由労働者の時代に戻りつつあるのかもしれない。



美化すべきかどうかはともかくとして、

・文脈的技能・・・社内での業務により蓄積されるもの。
・専門的技能・・・企業外の教育機関などで蓄積可能なもの。

としたとき、企業が構成員に対して、後者より前者を重視するのは当然だろう。
なぜなら、現行の派遣制度などを利用すれば、後者はある程度調達可能だから。
前者に対して継続的に投資をしていく必要性は容易に理解できるだろうが、後者はあくまで「社外」の問題だ。

国が専門的技能を重視して、それらを育成するような教育機関を沢山設置するか?
専門家の人員をコントロールしなければ、現状の博士号課程卒業者みたいに、需要なきとところに強制的に供給を作ることになるので悲惨なことになるだけだと思うが。
人員のコントロールを行えば、教育機関に入る為の投資ができる人間、できない人間でまた格差が生じるだろう。

「付け焼刃的な」というのは、物事を皮肉るときに使われる単語だけど、結局は「付け焼刃的に」動くしかない気がする。

当然なんだけど、企業は文脈的技能と専門的技能を使い分けている。
専門的技能を重視・・・、フリーランサーを集めれば、Apple任天堂のような「魅力」溢れた商品を作れるか?
それはありえないだろう。
逆に文脈的技能だけでも市場競争力のある「価格」を達成することは難しい。
「価格」と「魅力」のバランスをとりつつ、競争力を維持する為にはどちらも大事ということなんだろうな。

文脈的技能重視の悪しき側面として、「社内失業者の出現が企業の生産性を下げる」としているけど、
大企業ってそういうケースが多そうな気もするのだが、
一般的に規模の大きい企業のほうが生産性が高い(社員一人あたりの収益)のはどういうことなんだろうね。
結局「社内失業者」とかは単なるノイズにしか過ぎなくて、競争力減衰への回答としては弱いような。

文脈的技能を重視した結果、企業は長期雇用をうたうようになったのだな、とは思う。
トレンドがころころ変わる時代であり、企業は常に変わっていくべきだろうけど、
それはそれで今後より文脈的技能が重視されるような気がする。
なぜなら、どんなに時代が変わっても、企業は「軸」をそうやすやすとはずらせないものだし、
これからはエコだエコだと言っても、
不況まったただ中の百貨店が燃料電池を作るよりはエコバッグを売る方がまだ理にかなっているというか、
自分達の強みを生かした商売をしていくしかない。

労働力のシフトがなかなかうまくいかないというのであれば、
シフトした先の業界の賃金及び待遇が一定以上になることを誰かが保障する必要がある。
先の記事にも書いたけど、人手不足を解消したいなら、「給与を上げるのが手っとり早い」。
おそらくこれは自由競争的な人材市場に任せてもうまくいかないとは思う。
人材市場って人材の評価が非常に困難な為、逆選択が働きやすいし、その結果、高付加価値部分が切り落とされているのが現実だと思うから。
個人的には人材派遣って他社と差別化しにくいビジネスモデルだと思うから、ある程度寡占化しないと、労働力の売値を下支えできないと思うんだけど。
ってか、次代の成長分野には巧拙はありつつも国が政策として投資していくのがセオリーなんじゃないのかね。