10歳年下の誰か、10歳年上の誰か

ばたばたと同じようなことを扱っているような文章が。

「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法
嫌いを砕く
けものみち道
採用説明会での資料を公開します。

梅田氏は「けものみち」と表現していたが、
好きへのこだわりは「選択と集中」への奴隷の道とか、
好きがなくても目の前のものに当たってみれば、とか、
好きを貫くための手段とか。

この辺の話は何度か出てきている気もするけど、以下、「好き」を理解する為のテクスト。

専門性の限界について。
プログラマ 35歳 定年説

まとめると、プログラマには少なくとも二種類あって、他の「高度な知的労働」の職種と同様に定年がない「優秀なプログラマ」と、若いだけが取りえの「見習いプログラマ」とを、きちんと区別する必要があると。で、「見習いプログラマ」は 35歳といわず、もっと早い段階で、プログラミングに向いてないことを自覚し、もっと自分に向いている仕事を見つけるべきだ、ということですね。


偶有性ということ。「嫌いを砕く」に近いかもしれない。
自己選択や天職という幻想

しかし天職なんてあるのだろうか。まぁきっと運命の出会いみたいなもので、今そこにある偶有性を持った現実を、どういう気持ちで受け止めて、前向きに付き合っていくかという問題ではないか。派手な仕事であれ、地味な仕事であれ、楽しいことも辛いこともある。それしかできることがなければ悩まないし、他に選択肢がみえていて、どちらが将来的に自分にとって正しいか分からないと悩むのである。即ち仕事を通じた自己実現も恋愛結婚も同根であり、近代故の悩みである。他の選択肢を意識しなければ悩みようがない。近代以前だって、多くの人が自分が選んだわけじゃあなくたって、見合い相手を運命の出会い、親から継いだ職業を天職と感じたのではないか。思い込んでしまえば何だって運命の出会いだったり天職だったりするのだろう。自責である分、現代の方が辛い気がする。


テクストが偏っている可能性が高いのだが、「大企業での生き方にも言及できている」梅田氏ってまだ保守的なんだよね、こうやって見ると。

ただ、Webでのテクストについて「一流大学から一流企業へ」というエスタブリッシュライフを否定しているものが多いのは、やはり新しいメディアであるという特性かしら。

けものみちの話もネットワークの重要性もとにかく手にしたおにぎりを食べ続けることも動きながら標的を変えていくことももどれも大事なんだろうね。

ただ、挟間には落ちないで欲しいよね、とは思う。
10歳年下の誰かと同じスタートラインに立っている10年年上の誰かという状況を見ると、正直なところちょっと鬱な気分になる。
他人の心配なんかしても仕方ないのだけど。
本人は十分に満足している・・・のか、果たして。
そして、挟間はどこそこかに広がっているからなおさらタチが悪い。。。