モノの価格

テレビとかで行われる霊感商法批判の一手法で、そこでウン十万円で売られているつぼとかを鑑定士に持っていって、「これは市場的には二束三文ですねぇ」的なコメントを求めるものがあるが、もう相当見飽きた、というのもあるけれど、なんだか見ていてあまり好きではない。
確かに御利益があるという「インチキ」に対し(証明できないから)、大層なお金を払うのはどうかと思う。
つーか、モノの価格なんて社会関係性の中で決定するものであり、あってないようなものでしょう?
利益(売上ひく原価)を重視するのは当然の行為である。
・・・が、価格付けって原価以外の要素を含んだ、その場その場で変動する意図的なものであり、500円で売ろうが1000円で売ろうが、買ってくれる人がいてそれで成立するのであれば、じゃーいいんじゃねぇの?とか思う。
システム開発等の場合、工数ベースで(見積り)価格を弾き出したりするわけだが、そこが機械的に算出できるとすればこれ程つまらないことはない訳であり、もっと上手な価格設定というか、営業もっと考えて、臨機応変に価格設定しろよ的なお話もあるのではないかと思う。

それにだ、「支払い側」と「受け取り側」の間ですらお金の価値も違うので、「全員が納得する」のではなく、「相手を納得させる」ことがより重要なタームとなる。
・・・高くても「支払い側」が納得すればいいんじゃない?とか。

あと競争入札とかで予定発注価格を「一部の人間」に漏らすのは法的にNGなんだけども、常に最初に公示しておくわけにはいかないのかね。
「このことを行う為にはこのぐらいお金がかかります」ではなく、「このぐらいのお金があればこれぐらいのことが出来ます」という後者のほうがあらかじめバッファも実はとれるだろうし、予算超過の危険性が低いイメージがあるのだけども。

それから国とか自治体系案件は今までと違って呑気に「出せるだけ貰います」ってわけにはいかないだろうし。
税金だしどこから批判が飛んで来るのか分からないし。