派遣言語とか質と量とか

何度か出ている話題ではあるけど。 我らJava世代の課題

Javaは成熟し大人になりました。でも、一方で忘れてしまった感覚がある気がします。彼らとの、なんともいえない違いはなんでしょうか?  ジョナサン・シュワルツ氏が「参加の時代」を謳うなか、本当に全てのJava開発者は参加の時代を迎えているのでしょうか?  Javaエンタープライズ・アプリケーション開発に最適である。そう確かに。でも、それは数百人の低賃金プログラマをロボットのように使うことではないはずです。  「エンタープライズ・アプリケーションを開発するとはそうことだよ」などと、死んでも言いたくありません。  僕はエンタープライズ・アプリケーションが好きです。リアルなビジネスをソフトウェアが支える。こんな楽しい作業はありません。僕がWeb2.0を好きでも、それを仕事にしない理由はここにあります。

自分はどちらかと言うと降りた人間なので、Yusuke氏がエンタープライズという場所にこだわり、なおもそこに居続けるというのは敬意に値します。

ただ、Javaは派遣言語としての地位を確立し、PHPもややそうなりつつと感じる今日この頃。 Java圏=派遣文化 PHPのいま

ってか、「数人のコアエンジニアと数十人の派遣プログラマ」という構図はどうやったら乗り越えられるのだろうね。 まぁ、大規模開発での使用に適しているというだけで、言語そのものに罪はないのだが。

否、本当に言語に罪はない? OOPフレームワークの消化不良な取り込みと、「数人のコアエンジニアと数十人の派遣プログラマ」が強く結びつき、要求されるスキルの二極化がはっきりしすぎた気もするのですが。

mixiのトピックを引用しますと、例えばこういう感じで、二極化のひずみが出ています。 DAO信者が語るトピ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6562021&comm_id=1465 「クラスが増大すること」が問題視されてます。 ただ思うのは、MDAな手法を導入して、設計書(とか定義ファイル)ベースで管理して、DAOクラスは不可視な領域にしろ、と。 そうすれば、もっとそこにかける要員も減るでしょうし。

ってかね、システム構成と開発メンバー構成って密接に関わっていると思うのですが、そこの部分に言及したエントリーってなかなかないですな。 「タマゴが先か鶏が先か」の話なのですが、プログラム等の「量=>質」の転換を図るには、ある程度の技量が必要だと思います(MDAの採用とかね)。 ただ、そういったエンジニアの絶対数が少なくて確保が難しいが故に、質より量を重視したシステム構成を選択せざるを得ないのではないかと。

否、「確保が難しい」は真だろうけど、「そういったエンジニアの絶対数が少なくて」はちょっとウソだよね。 正しくは「そういったエンジニアの知り合いが少ない」ってことで、個々の人脈のパイプラインが細いだけでしょう。

もし「ある程度の技量を持つエンジニアが確保できる」という信用が業界的にもっと担保されれば、「量より質」を前提としたシステム構成も増えるのではないのだろうか。 あるエンジニアの器量を正確に測れるのは、同じ現場で働くエンジニアだと思うのですが、そういった人々の紹介というのが一番信用が担保できる気がする。 (ただ、多重下請とかで素性を伏せている場合、結局プロジェクトが終わればあとは音信不通という雰囲気がある。この文化、邪魔なんだよね。仲介業って必要だと思うけど、そこの都合を重視しすぎてない?) そして、その先にもしかすると、公正明大な評価を備えた人材市場の仕組みがあるのかもしれないし。

(まあここで書かなくても人材の流通がオープン化、人材紹介のハブが個々人に分散化しているのが現在進行形だけども) (やっぱりエンジニア限定のBlogリンク集欲しいなぁ。人材市場の前段階としても)