「オープンエンド」「mixi疲れ」「飽きても止めれない」

「もっと」戦略崩壊に見る、実用ソフトの「終わり」
「終わり」をどのようにデザインするのか?
かつてはRPGなど物語性の強いゲームが主流であり、その場合は当然なんらかの「エンディング」を用意されていた。
近年では「オープンエンド」と言葉で紹介されているように「特にエンディングを設けずいつでも止めれる形にする」という形式のゲーム・・・実用ゲームなどの形でそういったものがぼちぼち出てきている。
その場合の問題点は「ゲームを終わるときは飽きたとき。つまりリピートにつながりにくい」ということ。

では実用ソフトは、どこで終わるのでしょう? まず考えられるのは、途中で飽きた時、途中で挫折した時です。しかしこれって最低ですよね。プレイヤーが満足した状態で終わらない。すると次は買わなくなります。

思い出したのが「mixi疲れ」という言葉。

mixi疲れ」とは、mixi中毒とでも表現するほどハマっている人間が濃いコミュニケーションを要求されるのに疲れて、やがてmixiに離れてしまう現象を言うらしい。
これはmixiに限らず、どんなコミュニティでもある問題だ。
熱狂的なコアユーザであっても、どこかで飽きてそのコミュニティに参加しなくなるのはいたって普通の現象だ。
3年か3ヶ月か、どちらにしろ永遠に参加し続けるということはありえない。
だが、コミュニティは「オープンエンド」であり、普通、「終わらせる」為の仕組みがそこに存在しているとは言い難い。
いい感じの「終わらせ方」というのが存在しない。
辞めるのは「飽きた」ときである。
コミュニティ内のしがらみでさえも継続させる為の重石とはなりえない。

ところで対抗馬のアプリケーションがぼちぼち出てはきているが、我々はExcel、Wordなどはいまだに使い続ける。
当たり前の話だが、それは作業を行う為に「必要なツール」だからだ。
SNSだろうがなんだろうが「コミュニティの楽しさ」で引っ張るのは限界があり、「必要なツール」に質を転化しなくてはならないとは思う。

「飽きたら止める」ではなく「飽きても止めれない」仕組みをどこかで考えればいいのか。
或いは「就職情報」「子育て情報」等のように「やがて必要でなくなることが明らかであり、終わりを組み込めるもの」をコミュニティのメインとして設定するか。