オレが作ったって思っていいんだよ

職人エンジニア結構!
でも職人魂だけでは越えられない壁があるのだね。

責務について

プロジェクトに召集され開発要員として参加した場合、求められるのは「1プログラマとして振舞う」ことであり、「自分の責務範囲については完全に仕事を行うこと」なのだろう。
だからこそ、己の作業に職人的こだわりを持つことが必要になる。
かつてのシステム開発の手法はタスクや責務を細かく設定していた・・・、つまり細部へのこだわりというパラノイアな資質と傭兵の集まりという開発スタイルがうまくマッチしていたと言えるかもしれない。

大枠を越えないこと

プログラマとして振舞うということは「大枠を超えない」ということを意味する。
監督の想像を越えたプレーというのはあまり要求されない。
それこそ高校野球の世界だな。

そんなことは聞いてない、という台詞

開発の決まり文句がこれだ。
「そんなことは聞いてない」「もっと早くに言ってくれればよかったのに」
改善すべきは言う方、言われる方両方だと思うのだが、そういう発言が出る時点で「他人の仕事」ととらえられてしまっている可能性がある。
もし受注案件において、毎日終電帰りのPMにそういう言葉を投げつけるのであれば、「戦う相手が間違っている」

プロダクトへの愛情

「オレが書いたソースコード」というものはあるんだろうが、「オレが作ったサービス」「オレが作ったプロダクト」という愛情は1エンジニアとしては持ちにくいかもしれない。
「プロダクト」を他人のものと考えてしまう。
まあ確かに法律的にその所有権がどこに存在するか?と考えればそれはそうかもしれない。
ただそれこそが職人エンジニアの限界な気もする。
仮面夫婦みたいに、妻としては完璧に演じることが出来るのだけど、夫への愛情は全くないというか。
自分の責務に対して「誠実に」「正しく」振舞おうとするだけでも充分に職業的義務を果たしてはいると思うが、ドライな契約関係を超えた「愛情」「情熱」がプロダクトに対してないとそこから大きな可能性を引き出すことは出来ないだろう。

自分が作った

厳密に考えれば、「自分が作った」という表現はどんな立場の人間にも当てはまらない。
「全体を見る仕事」をしていても、それは「全体を見る」という部分的な作業をしているに過ぎない。
ただ「全体を見る」プロデューサがそのプロダクトを「自分が作った」と思っているのはほぼ間違いないのかも。
面白いことにデザイナーと呼ばれる人種も「自分が作った」という意識が非常に強い。
エンジニアにも「決定する権限」があちこちに点在しているわけなので(ソースコードはそういった決定の集合体)、彼らだけが「自分が作った」という意識が薄いのはおかしな話だ。
「そんなことは聞いてない」という台詞を考えると、どこまで所有意識を持てるかというのは単に「タイミングの問題」だけなのかもしれない。
というか、エンジニアが「オレが作った」と思っていけない理由はどこにもない。

人のクルマをチューンするだけだと絶対に愛情は生まれない。
どんなに優秀な職人だったとしてもそれはありえない。
もし彼らからも愛情を引き出したいのなら、クルマをドライブしていいことをオーナーが示すことが必要なんじゃないかと思う。

そしてエンジニアは、オレが作ったって思っていいんだよ、とは思う。