「沈黙を伴う寛容たるべき」なのか

私は当たり前のことを言っているにすぎない

ついでにmiya2000さんの疑問に答えよう。議論できるかな?と思ったのは、自由なはずの行為を「若気の至り」とか「アホ」とか評することの妥当性についてだった。しかし、これは倫理や道徳の話だ。素人同士が議論しても結論が出ないことは目にみえているし、仮に出たとしても社会への実効力などない(不毛という言葉はそういう意味で使った)。だから議論をしかけるのをやめた次第。miya2000さんには伝わると良いが。

発言する自由は認めるが、批判する自由は認めないという「矛盾」。
にしても「感じることがあっても心の中にしまっておけ」というように「沈黙を伴う寛容たるべき」という態度が望ましいと言い切ってしまうのはどうかなぁ。

或いは単に「表現手段」だけを問題にしている?

まぁそれはいいのだが。

「議論をしかけるのをやめた」のは「面白くならなそうだから飽きた」とか「これ以上続けても自分にとって価値を見いだすことができなさそうだからやめた」とか書いておけば済むだけの話だと思うけど、どうして社会への影響うんぬんで考えるのかな。
社会への影響など「分からない」という曖昧な態度で保留しておくしかない筈なのだけど。