道幻想

マークアップエンジニアって結局何やる人なの?
これは「かくあるべき論」なのか。

「そういう人はSEとは呼ばない。本来あるべきSEはうんたらかんたら」という嘆きにはひどく違和感がある。
SEは何をやるべき人間なのか・・・それは個々の会社組織、職場環境によって大きくブレがあるからだ。
例えば、人間商売を行っていたりするところだと、能力の異なる人々・・・多くの場合はシステムに対する習熟度を「区別化」する為の手段にしか過ぎなかったりする。
しかもその「区別化」は相当恣意的にできている。
昨日入社してきた社員に「SE」という肩書を与えても実は何も問題はない。

「○○はかくあるべき」(○○にはPGでもSEでもデザイナーでも社長でもなんでもいい)という言葉は実はなかなか一般化しにくい、と思う。
確かに各々に対して期待される役割というのは存在する。
ただしそれはある組織下における「職務上の役割」だったり案件をお願いする際の「判断材料」にしか過ぎない。
転職及び案件受注時に実績や能力や思考手段が重視されるのは理解できるが、「それが役割として求められているから」であり、「役割」そのものが独立して存在するというのは危険な考え方だと思う。

SE道?マークアップエンジニア道?
なんだか「道幻想」というものが蔓延している気がする。

「期待された役割に忠実か?」
「組織に大きな付加価値をもたらしてくれるか?」
「転職や独立の際に有利か?」
という実利的なところから外れて「道を究めなければならない」という強迫的な考えがここあちこちに見られるような。

それが好きであればいいのだけど、「道の追及を重視しなくてはならない」と「職務上要求されるべきこと」が衝突するというのはどうもな。
自己肯定の為の「プライド」は必要だと思うけど、お客さんも含めた第三者から見ればどうでもいいことだし。