会社での制作活動の限界

コミュニティ活動以上に面白い会社にしたい
読んでみた。

一つ思ったのは「フラットな組織」というのは差別化できるほどの魅力にはならない。
大概のベンチャーは当り前のように「うちはすごいフラットですよ」と言うから。
若い会社でそれを言わなかった会社はあまり聞いたことないな。

しかし、経営者の自分としてはそういうふうにエンジニアに思わせてしまうことが経営として失敗なので、肯定はしちゃいけないんですね。本業よりもコミュニティでの活動を優先するような状態になってしまったら、それはもしかすると、経営努力が足りない証拠かもしれません。会社の中の仕事をするのが楽しいと思わせるような会社を経営することが、僕らにとっての課題

ものすごい正論。
外部の仕事は評価としては認めるわけいにはいかないのは至極当然。

ただ楽しい仕事とは何か。これが難しいのだけど。

思うのだけど、会社での制作活動には限界が存在するよな。
それは会社業務で作ったプロダクトが「自分のものではなく会社のものである」、ということかな。

サラリーマンでありつつ「○○を手掛けた××さん」という評価を広く受けれるところもあるよ。
デザイナーとかデザイナーとかデザイナーとか。
まぁデザイナーに限らず、クリエイティブと呼ばれる業界においては仕事の評価が「外部からの」個人の評価に直結することは多いわな。

エンジニアでもそういう人はいないことはいないのだが(じゃなかったら独立なんてできない)、まあ裏方に回りがちだしな。
表に出てきにくい部分ではあると思う。

ってか、システム案件(に限らず一般的な業務)って「キャストを公開する」という概念がないよね。
「映画やドラマのエンドロールじゃないんだから・・・」とは思うけど、「キャストを公開するもの」と「しないもの」の違いって何だろう?

アートディレクションとか一発系案件に比較して、そもそものシステム案件って事業の継続性を必要とするから、個人に所属させることってムリがあるのだよな、やっぱり。
・・・ってかプロダクトをそのまま引っ張って行った事例とかもあるにはあるんで体力的にありえないということではないのだが、普通は会社がそれを許さない。
そもそも業務として行っていた以上それは会社の所有物なわけで。

ただ「自分のものじゃないこと」に発揮できる責任感とか当事者感って限界があると思う。
経営者であるとか株持ってるとかならまだ話は別なのだけど、あくまで「会社員としての」責任感しか有せないだろうなぁ。

一つ突破できるのは、「あなたが作ったものだったら仮に独立するとしたらそのプロダクト持っていっていいよ」と宣言してしまうことかな。
それによって元の会社にもリターン(その形は一つではない)が期待できればいいんじゃなかしら。
「所有を放棄すること」は勇気がいることだと思うが、「その社員がいなければ所有していても意味がない」っていうことも沢山あるわけだし、そういうのはこだわっても仕方ないんじゃないかと。