自由意思の選択ってさ

三連休のはずだが・・・
うーん、ちょっとひどい決め付けかな、とは思う。

私が格差社会論とかニートフリーター論を書くと、自称「格差の最底辺」にいる人々から罵倒に近い言葉がどっと寄せられる。 それらのすべてに共通するのは、「お前は格差社会の実情を知らないが、私は知っている」という「知的優越」のポジションを検証抜きで前提にしていることである。
あるゲームでつねに勝つ人間とつねに負ける人間がいた場合に、そのゲームが「アンフェアなルール」で行われていると推論することは間違っていない。 しかし、つねに負け続けている人間はつねに勝ち続けている人間よりもゲームのルールを熟知していると推論することは間違っている。

「上昇する手段」「下降する手段」は別物として考えるべきだと思うのだが、「ルール」という単語ひとつでごっちゃになっている。
というか、『自称「格差の最底辺」にいる人々』の意見をあまり聞かない人なんだな、ということかしら。

どうしてここまで自由意思の選択を信用できるのだろうか、とか。
自由主義だけじゃダメじゃん」と気付くべきなんじゃないの?と思うのだが、政府にしても・・・自民党民主党ですら、その方向へ舵を切っているというのに、やや周回遅れか。

ぼちぼち内需上げていかないとヤバくない?・・・為替とかBRICKSの景気動向とかの外需の変動リスクを内需でヘッジしておいたほうがいいと思うのだけど、トップアップ戦略だと限界がある・・・兵站が伸びるだけなので、ボトムアップ戦略を選択すべきだと思うのだけどどうだろ。
ハイクラスをターゲットにした商売は潤っているだろうがミドルクラス以下は軒並みヤラれているのでは?
例えば、自動車はハイクラスをターゲットに出来ている会社はうまく回っているみたいだが、中古車業界は厳しいらしいし。