人はそれを機会損失と呼ぶ

まぁこれについてはタイトル通りなんですが。

「無くても作れる」意外にこれが最大の敵かも。

設計思想とか開発環境について意見を交換している際、提案したものに対して「無くても作れる」と主張されると、確かにその通りなんですよね。データ中心アプローチも、オブジェクト指向もDIも、「無くても作れる」と主張する人たちが言うところの「今まで通りのやり方」で頑張れば作れない事もないです。
でも、当たり前ですが「今まで通りのやり方」は最良ではないし、むしろ多くの問題や課題でぼろぼろになってしまっているものが多いです。

ただし、IT業界ってそれなりに経験を積んだ人ならすぐに分かる「ウソ」が平気でまかり通っていたりするからなんか微妙。
古いものに固執するのと同じぐらい新しいもの好きっているわけで。

11/27の日経朝刊『システム開発 期間短縮』でも似たようなことは書きましたが、「何が我々のシステム開発をラクにしたのか」はちゃんと振り返って考えた方がいいと思う。

それと「一過性のブーム」というのも少なくないわけで、リスクとって新しい要素技術の習得に全力を注いだが、そのまま縮小してしまいやがてなくなってしまったものもあるわけで、Microsoft Visual J++とかやっていた人は果たして今もその経験を生かせているのだろうか?とか。

といいますかね、「大手SIerは実は生産性など求めていない」という出口の部分こそが問題だと思ったりします。
「期間短縮」が謳われたりするけど、「期間見積りの精度が向上する」ことが重要なのであって、期間そのものの短縮は実は目的ではないのだろう。
そもそも彼らは「品質確保」という目標こそあれど「生産性向上」というフィールドでは争ってなんかいない。

SIer業界は別に危機感など抱いていない