書籍『滝山コミューン一九七四』読了

あの頃の憂鬱な学級民主主義のノンフィクション。

冒頭文から引用。

あらゆる現実の民主主義は、平等のものが平等に取り扱われるというだけではなく、その避くべからざる帰結として、平等でないものは平等には取り扱われないということに立脚している。すなわち、民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に―必要な場合には―異質なものの排除ないし絶滅ということである。


「水道方式」、「学級集団づくり」という理想の教育がかつてあったらしい。
「水道方式」は全ての子供たちに等しく教育を授けるものであり、受験勉強などを否定する立場のものである。
「学級集団づくり」は集団主義的教育を目指したものである。

ってことで「みんなの」という言葉が蔓延した小学校における、作者の憂鬱な生活の物語だったりする。
「それはいいことだ」と理想的に考えられていた方法が少数の人間にどんな影を落とすのか?という話。
普通であれば、「学校なんて思い出したくもないよ!」と心の奥底に封印してしまうべきものを、白日に曝け出し検証しようとする作者の心意気って・・・、というか、そんなにこだわるものなのか?とも思ってしまうのだけど。

今はむしろ学級崩壊だったり問題が逆転していたりするのな。
コミューンの時代はおそらく二度と訪れないだろうけど。