潜在敵対顧客、不確実性、バブル

セカンドライフの失敗から学ぶべきいくつかのこと

すると宣伝とかはお金を使いやすいので、もうバンバン、湯水のように宣伝費を使うことになります。しかしサービスが未完成なので宣伝すればするほど逆効果です。潜在敵対顧客をバンバン産んでいるだけでドツボにはまっていったように思います。


潜在敵対顧客という考え方はなかなか面白いなぁ。

広告宣伝が銀の弾丸に見えてしまう場合があるのかもね。
「やってみないと分からない」ということかも。
そうなると最初は失敗するのは必然になってしまうのだが。

銀行よりも賢くお金を使わなければ、そもそも銀行に預けておいて金利をもらっていたほうが得、という本末転倒なことになります。


これに関連して。

東洋経済、12/15のP61より引用。

ナイトの不確実性 - 人は非合理なほど自分の幸運を信頼する - フランク・ナイトは、客観的な確率の計算ができない真の不確実性を前に、楽観的になれるタイプが企業家になると論じた。が、「楽観性ゆえ、企業家は事業が成功するチャンスを過大評価し、過剰な投資をつぎ込んで全体として損失を被る」との洞察も示した。


P71より引用(池田信夫氏の寄稿らしいよ)

すでに1921年にフランク・ナイトは、確率分布のわかっている「リスク」と、確率のわからない「不確実性」を区別し、利潤の源泉になるのは、不確実性の下で企業が行う「冒険」だとした。これはシュンペーターによって「企業家」の概念として受け継がれ、現代の「新しい成長理論」で注目されている。 オーストリア学派と対立したケインズも、経済活動のコアが心理にあるという点では一致していた。彼も資本主義のエンジンは投資家の「アニマルスピリッツ」だと考え、金利生活者が将来に対する不安から「流動性選好」によって貨幣を保有するため、十分な投資が行われれず、不況が長期化すると考えた。


梅田氏が定義した「狂気」・・・新しいことを興す為には「狂気」が必要だ・・・というものが、ここでは「不確実性」に対する「冒険」となっているのか。

まぁこういう逆説的な言い方も成立すると思う。
「誰もが成功すると確信しているものは大きくは成功しない。既に誰かが成功して市場を抑えてしまっているから」


ところで、これ。

半年くらい前、国内でのセカンドライフは完全にバブル状態だったのですが、誰もがこれがバブルだと認識しつつ敢えて踊らされる側に回った、というのがとても印象的でした。知人のセカンドライフビジネス関係者で本気でセカンドライフをやっていこうとしているのは1割もいませんでしたし、みんな心のどこかで「まあこんなの今だけだし」と思っていた点は否めません。


なぜ殆どの人間が「こりゃ今だけだ」みたいな否定的感情を持っていたのにここまで持ち上げられたのか。

以前読んだ『ネット株の心理学』の第2章より引用。

バブルとわかっていてそこに突っ込むとは、なんとあほな、とは思われるでしょう。それは、バブルは危険なものである、という従来の株式投資の常識(非常識)に影響を受けすぎて本質が見えなくなっているために、あほに見えてしまうのです。バブルに突っ込むのは投資の王道です。バブルを見つけたら、一刻も早く参加しなくてはいけません。バブルは危険なものではなくて、大きなチャンスなのです。株式取引には、ゼロサムゲームの側面があります。ゼロサムとは合計はゼロであるという意味で、全体の合計では損得なしだが、その中で利益を上げる人がいれば、その分誰かが損をしているということです。 バブルではこの状況が顕著に表れます。つまり、バブルにおいて大きな痛手を被った人がいるということは、必ず大儲けをした人がいるということです。土地をバブルのピークに買ってしまったということは、そのとき、その土地を売って大きな利益を上げた人がいるということなのです。バブルほど、短期に大きな利益を上げられるチャンスはないのです。だからこそ、皆、バブルに注目するのですし、バブルが来ると騒ぎ立てるのです。バブルを見つけたら、身構えつつも冷静かつ大胆にこのゲームに参加して大きな利益を目指すのが、一番頭のよい投資家のすることなのです。


セカンドライフバブルについても、それを望む人が大勢いたからこうなった、と考えるのがよさそうです。
注目とそれに付随するお金を集めるだけ集めてわっと畳んでしまうという意味で、注目バブルビジネスモデルというのがあってもいいかもしれない。
って、全然ゴーイングコンサーンじゃないじゃない(笑)。
企業としては負け戦だが、個人レベルでは勝ち戦になることも多いので(売り抜け)、タチが悪いというか、それをしない負のインセンティブがないというか。