成功者になれるよ論とネズミ講

ここでもズラズラと書いてきたけど、赤木氏の貧困論が波紋を呼んでいるみたい。

個人的にはね、赤木氏には得意分野を生かしつつ貧困問題のスペシャリストになってほしい。
若年層フリータだけじゃなくて、経済的に弱い立場になりがちな、病気や離婚や高齢者、外国人といった周辺領域までカバーするようになってくれると嬉しい。
私憤をもって語れる人って貴重なんだよね。
勤務企業の人事体系に不満を感じ、その後、企業の人事問題の専門家になった城繁幸氏みたいになるといいんじゃないのか。

人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?
自分がどんな生き方をしたいのかも決めずに世の中の文句を言うな

成功者になれるよ!論っては各論でしかない気がする。
一人で「お金持ちになる」と言うのは時間的限界が明らかだし、個々具体的な作業については「誰かに」お願いしないといけない。
その社会が仕組みとして貧困層を必要とするのであれば、
「成功者になれるよ!論」が世の中に敷衍したところでやっぱり恩恵を受けるのは一部の人だろうし、総論にはならないだろう。
「誰でも成功できるのは難しくない」と謳うのは、
「本当はパイが限られているのだけどそれを隠している」という点でネズミ講と同じ。

右肩上がりの経済成長が殆ど望めないからこそ、個別な成功論ではなくて、
「全員がそれなりに幸せになるにはどうしたらいい?」というのがもっと真剣に考られてもいい気がするが。

ところで、

「世の中金がすべて」ではなく「自分に入る金に関心がある」⇒今はアクセスアップが目的です(笑)

私に言わせれば「世の中金が全て」というのは不正確で ズバリ 「自分に入る金に関心がある」 だ。


賃金を沢山払いたいけれど払えない人々はさておいて、
使用者と労働者で、その使用者が他の使用者の10倍の支払い能力があるからと言って、労働者に10倍支払うかと言えば、そんなことはない。
10円のチョコを100円出して買う消費者がいないのと同じことだ。
(払おうと思えば払えるが、他に全く同じ品質で10円のチョコがあるのであればそれに意味はない)
「価値付けをして賃金として支払ってくれる人」がどれくらいの「お金持ち」か?というのは極めて限定的な問題だと思う。
どんなにお金持ちであっても、「意味のないことにはビタ1文支払わない」のが基本原理。