ブログ後の世界、そしてバザールを思う

「リンクの相互分析を使い、この数年で熟成してきた検索結果が、ブログの隆盛で雑音だらけになりつつあります。」

とのことだけど、そうかぁ?って感じがするのは僕だけじゃないと思う。

と言いますか、このエントリーを見る前から思っているのだが、ブログの隆盛によってより多くの書き手が参入してきて、技術情報やビジネス情報とかが豊富になったのは本当にありがたいことです。

それほど内容が洗練されてなくとも、情報を発信してくれるのはどんなにありがたいことか。

伽藍とバザールという言葉があるが、個人的に日本のオープンソースがイマイチ盛り上がりにかけていたイメージがあるのは、バザール度が足りない為か。
例えば、10あるプロジェクトのうち1つぐらいしかない成功しないという状況はオープンソース的には非常に健全だったりする。
これを更に推進する為には実は物事の「適当度」を加速させることでは?
粗悪乱造による疲弊という懸念もあるんだろうけど、ネットのいいところって物事の評価軸が平準化してくることだろうし。
(例えば、雑誌と周囲の友人ぐらいしか評価してくれるものがないと段々廃れていくのかね?)

ただ実は社会問題等の議論自体はまだネット的にはこなれていないのでは。
技術系だと「宗教戦争」の一言で片付けてしまうことも多いですよね。

「システムはこうあるべきだ」みたいなイデオロギーって技術者にもあり、・・・まあ「技術者の誇り」ってことなんですが、状況によってケースバイケースで調整しているわけなんですよね。「ユーザが望むのだったら仕方ないかぁ」って感じで。そのユーザ自体も一枚岩じゃないから、色々とメンドウな問題も起こることが多いと思うけど。

まぁジャーナリストも「正義を主張する」のではなく、「自分の正義を主張する」ってぐらいのスタンスだといいのかなぁ、って思ったり。
一次情報は正確に流すが、その「正義」の判定は多くの評価者に委ねるべき時代なんですかねぇ。

追記(05/03/12 03:50)
トラックバック先で文字化けてる・・・。