会議に議論は必要ない

会議とかで思うのだけども、
「情報共有」や「物事の判断、決定」ではなくて、「議論」そのものが好きな人っていますよね。

「会議に議論は必要ない」というのは極論です。
でも、「諦めるべき局面」において、
「そんなことグダグダ議論してても仕方ないだろう、もう決めようよ!」
なんて思ってしまうこともしばしばあります。

「決定権を下す人」が議論に熱く参加すると最悪・・・かな。
ステークホルダーの意見を黙って聞いて、疑問点等はあらいざらいにして、
最後に判断した結論を述べればいい。

ちょっと前のエントリーだけども、

体育会という議論手法

を読んで思ったのは、
ステークホルダーが議論の結果持つ「勝ち負けの感情」を如何にコントロールするか?というのが重要なのかな、と思ったり。

参加者が勝ち負けの感情から距離を置き、
ある種の「諦観」を持つのが会議を短く終わらせる秘訣なのか。

「議論そのものが好きなので議論をふっかける」
「プログラムそのものが好きなのでゼロベースでのシステム開発にこだわる」
「新しいもの好きなので目新しいパッケージは即効採用する」
自分の「趣味」に他の人を巻き込むのはどうなのかな。
「エゴだなぁ」と知りつつも「自分の為に」敢えて推し進めるという発想もアリなのだろうが、
それが「エゴ」だと気付いてないことはなお罪作り。