進学校の思い出

履修単位不足問題が話題になっている。

もう10年近く前だけど、地元で進学校と呼ばれる高校に通っていて、そこでの思い出なんて書いてみる。

  • 入学して最初の父兄の歓談会とかで「ウチは受験校です」みたいなことをまず親にとうとうと語られる。 「お子さんの大学進学は生徒と親と教師が一体になり協力する必要があります」とか。 そもそも親子ともに「大学進学の為に」その学校へ入学したわけなのだから、そこに違和感はあまりない。
  • 基本的におとなしい生徒ばかりなので、あまり生徒指導の出番がないかな。
  • 3年分の履修内容を2年とか2年半ぐらいで終わらせて、あとは受験対策に割り当てられた気がする。
  • 受験に関係のない科目でやっていることって、睡眠時間に割り当てるか、英単語の暗記とか、はたまたサボタージュして予備校で勉強。 生徒にもあまりやる気がなし。
  • 3年夏以降、週末は学校で模試ばかり受けさせられていた気がする。
  • 推薦入試を除けば中間考査等の成績が悪くても気にする人はあまりいなかったような。だって受験と関係ないし。
  • 希望する生徒には教師が個別指導。人気のある教師には列ができる。
  • 「えいえいおー」まではいかないけどモチベーション上げる為の学年集会はよくやっていた。
  • 「誰々が○○大学に受かった」とか壁に張り出されていた。
  • 学校行事への生徒への参加率は決して悪くない。ノリは「ウォーターボーイズ」に近いかもしれん。ただ3年夏以降は殆ど行事がないとか、受験を妨げないようなスケジュールになっている。
  • 終業後も教室や図書室で受験勉強。 人によっては予備校にいったり喫茶店にいったり。

「生徒がおとなしい」と書いたが、派手な不良がいたという印象はまるでない。 そもそも「大学受験」という明確な目的意識があったので、「遊んでいる暇があれば、受験勉強する」という意識が高かったのだろう。

大検という手段も知ってはいたけど、一人で受験勉強する程心が強いわけでもなかったので、人間関係とか授業とか受験の為の環境が整うっていうのはありがたい。 ただ、地方の進学校だったので、旧帝大メインの受験体制になっているのがちょっとつらかったかも。 (自分の場合、受けたの都内の学校だし)

ってか、これって公立の話なんだけども、そもそも「教養」ではなく「大学受験」の為に入学してきたみたいなものなので、生徒からして求めるものが違っている。

「日本史は受験の役に立つけど、受験科目ではない世界史は何の役に立つの?」、 「自分の興味のないことを何の為に勉強するの?」という根本的な問題がある。 「教養」なのかな。 生徒からすれば、受験で忙しいのにそんな悠長なことやっているヒマねーよ、ってことだろうけど。