プログラム言語とフェデレート端末

最近、「iPhone 衝撃のビジネスモデル」を読んだのだけど、ユビキタスの大きな問題は「冷蔵庫や電子レンジにタッチパネルがついて色々操作できるとしても、そもそもそんなに沢山機器単位の操作方法が覚えられない」というのがあって、もしかしたら携帯端末・・・それこそiPhoneとかをフェデレート端末として使えれば、覚えるのは一つで済むんじゃないの?ってのがあった。

で、 全てのプログラミング言語は C コード生成器と割り切るべき

プログラミング言語とか言語処理系とかいう言語設計者や実装者の決め打ち設計によって硬直化した世界で宗教戦争しているのではなく,もう一歩進んで,早く仕様記述と (完全に仕様に特化した正当かつ十分に効率的な)プログラム合成の世界にパラダイムシフトして欲しいものだと思う.もうずっと書いてきていることだけど,このほんのちょっとの視点の違いに気付くだけで,世界の見方は一変するのではないかと思う.

これってDSLの話なのですかね。
先にフェデレート端末の話を出したけど、言語っていうのも同様で、そんなに沢山用途によって覚えられるのかしら、とは思うのだよ。

あと、「少ない言語でなるべく沢山のことをしたい」という欲求がすごく強いのだとも思う。
集中することで蓄積されるノウハウがより濃いものになるわけですし。
だからまぁ言語は肥大化するんだね、とか。

それから、「自分達の使っている『道具』が一番である」と喧伝すること自体、「自分達にとって」意味のあることだから、・・・まぁだから新しい言語が次々出てくるのでしょうなぁ、とは思う。