選択が多いほどよいという幻想

『行動経済学』で「選択のパラドックス」という話が紹介されていた。

実験その1。
スーパーマーケットに6種類、24種類のジャムを並べて、1時間ごとに陳列棚を入れ替えて、客の動向を観察する。
陳列テーブルのある通路を通りかかった242人のうち40%が6種類のジャムの陳列を訪れたのに対し、60%の客が24種類のジャムの陳列を訪れた。
しかし、6種類のジャムの陳列テーブルを訪れた客のうち実際に購入したのは30%であったが、24種類のジャムの陳列テーブルを訪れた客のうち実際に購入したのはたった3%にすぎなかった。

実験その2。
今度は、被験者はチョコレートを1つ自由に選んで試食し、味の満足度を10点満点で評価した。6種類から選んだ人の平均値は6.25であるが、30種類から選んだ人のそれは5.5であった。
更に、実験参加のお礼として 5ドルかチョコレート1箱の好きなほうを選んでもらうと、6種類から選んだ人は 47% がチョコレートを選んだのに対し、30種類から選んだ人のそれはわずかに12%だった。

大学4年の就職活動についての調査。
より多くの仕事から選べる学生のほうがそうでない学生より就職に対する満足度は低い。
更に「最高の」仕事を求めている学生は「ほどほどの」仕事を求めている学生より・・・事実、よりよい条件のところに就職できているにも関わらず・・・満足度は低い。

シュワルツは、このような現象を「選択のパラドックス」と呼んでいる。
人にとって選択肢が多いことは幸福度を高めるどころかかえって低下させてしまうのである。

おそらくこういったことは感覚的には理解されているのだろう。
例えば、UI設計において、「多くの課題に柔軟に対応できるが、手段はシンプルに」みたいな話とか。

シュワルツとウォードらは、何でも最高を追及する性向のある「最大化人間」と、サイモンから着想を得た、「ほどほど」で満足する「満足化人間」がいるとして、その判定法を考案している。最大化人間は、選択肢が増えるとそれをつぶさに検討して、より良いかどうかを確かめないと気がすまないが、満足度人間はいったんそこそこの選択肢を見つければ、選択肢が増えても気にしないのである。したがって、最大化人間は、選択の結果に充実度が低く、後悔しがちであり、総じて幸福度が低いことが指摘されている。

局面によって「最大化人間」と「満足化人間」の性質が切り替わると思うのだが、こと人生に対する態度としては「最大化人間」から「満足化人間」に年を経るにつれ移行していくのかしら、とは思う。

こだわりがなくなると言うか。
「選択する必要があり色々悩むけど、その結果が悩んだコストを十分に反映していない」ことに気付くと言うか。

で、引用元の書籍で指摘されていて、面白いなぁと思ったのだけど、

選択肢が多いほど自由に選べる可能性が広がり、より充実度は高くなるはずだという信奉が現代人にはある。この発想は自由主義思想とも結びついて世間を席巻しているが、これは幻想だと言う。

『1984年』の世界みたいな「ユートピア」(ディストピアではない)が必要かしら、とか(極論)。