「苦言」ではなく「意見」

元文章がいい感じで短いので全文引用。
苦労したからついしてしまう苦言

誰かがかつての自分と同じ苦労やミスをしてしまう時、「そんなんじゃダメだ」とかつい言いがちになってしまう事がある。でもこうしたアドバイスを受けた側って、素直に受け取れることって少ないような気が最近している。 相手のことを思えば、失敗している姿を見てもそこから学ぶに任せ、取り返しのつかない痛い目を見る程である場合はギリギリのところで手を差し伸べる。自分にそれができているかかどうかと問われると甚だ疑問も残るところであるが、そういう行動が取れたら・・・取れるようになりたいと思っている。

教育スタイルに唯一正しい手段というのはないと思うので、これはこれでありだと思う。

ただ、最近自分の中で行っているのは「苦言」を「意見」として置き換え、それに対する態度は自由だと認識づけることかな。

「これは苦言ではなく意見なんだよ。それを受け入れるかどうかを決定するのは君の自由だ」

失敗ギリギリのところで「実は・・・」とするのは自分的にはどうかと思う。
もし自分がそういう態度をされたのであれば、
「これ仕事でしょ?なんで分かってるのに何も言わないの?」
と思ってしまう。

本人の自主性に任せつつも伝えるべきことは伝えなくてはならない。
また、自分が気付かないことを他人が気付かせてくれるメリット(学習コストの削減)も認識させなければならない。
重要なのは、他者のアドバイスを聞くには聞くが、対応の決定については自分自身で行うしかない、ということを知らしめることかなぁ、とか。