満足する人、最大化人間、幸福度とか

まぁどうでもよい話ではあるのですが、

選択が多いほどよいという幻想でも触れていた「行動経済学」は絶対に読んでおくべき本(あと「物理経済学の発見」もね)だと思うのだが、
今再びその本から引用。

シュワルツとウォードらは、何でも最高を追求する性向のある「最大化人間」と、サイモンから着想を得た、「ほどほど」で満足する「満足化人間」がいるとして、その判定法を考案している。最大化人間は、選択肢が増えるとそれをつぶさに検討して、より良いかどうかを確かめないと気がすまないが、満足化人間はいったんそこそこの選択肢を見つければ、選択肢が増えても気にしないのである。したがって、最大化人間は、選択の結果に充実度が低く、後悔しがちであり、総じて幸福度が低いことが指摘されている。


なんというかね、
我々が幸福への近道について考えれば考える程その道から遠くなるというか悪循環というか。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。- 梅田望夫×岩田聡×糸井重里へのはてブ

すごくぐにゃぐにゃした雑な言い方だけど、
かつてテレビでは野球選手がスターで「君たち野球は楽しいよ!」と体を持ってメッセージを発していたから、
男の子は皆野球選手になりたがっていたわけで、
玉石混合の状態に対して、「とにかく圧倒的多数の状況を作ってトーナメントを作るんだ」みたいな社会だったのかと思う。

先の対談も本来はエリートがエリートに語っていたというか、
フィルタリングされていた人々にさえ届けばよかったというか、
ってか、ネット以前だとこういう話ってどこで目にしたのかね、雑誌?どんな雑誌?
かつての野球選手と似たような状況になりつつあると言うか
受けれる機会というものが平等で、玉石混合になっているのではないか。
声は届きやすいというのはそれはそれで素晴らしいことなのだろうけど、
効用最大化の道というのは先に引用した通りイバラの道とも思うから、
啓発されちゃうのもどうかなぁとも考えたりするのです。

毎日おもしろおかしく暮らせるだけでも幸せですよ、とか
何度生き返っても「今サイコー!」と言えるようにはなりたいです

ま、なんでもいいんですけどね