マナー

なにか教えられるのかな?を読んで、「要は学生に講義を聞くマナーがないという問題なのかな」と希少化させるとちょっとすっきりした。

「バイト先では現場の仕事を仕切ってリーダ扱いですよ」って人間ももしかすると教室でガーガー寝ているだけかもしれないから分からない。

昔に比べて学生がバカっぽいく見えるようになったというのは、他に勉強よりも他に楽しいことがあるからというか、楽しいことやる為にはバイトもしなきゃいけないし、大学教育自体が消費文化の魅力に大負けし続けている結果なのだよね、多分。

彼らは彼らなりに賢明なんじゃないのかな?そして仮に近い将来、彼らが日本の産業社会で自分が満足するだけの収入を得られる職業に就業できる可能性が減じたとしても、そもそも人間というのはどれだけ所得を得てもそれ以上欲しいと思うものなんじゃないのでしょうか。じゃあ、頑張ったって不平不満を持つかもしれないのは一緒であれば、いま確実に楽をしたほうが合理的ではないですか?

「生活力がある」=「高い収入の職業につける」って定義自体が「はぁ?」という感じだったりするのですが、そもそも大学名による振るい落としの問題がすっ飛ばされているというか。

それに授業にまともに出ない人間が就職活動ではがんばってそれなりの企業へ進んでそれなりに出世したり、マジメな学生だった奴が社会でドロップアウトしたり、なんかヘンなことに目覚めたり、まるでその逆のケースも当然あったりして、「学生のときの講義態度とその後の収入は必ずしもリンクするわけじゃない」という当たり前の事実があるので、そういう定義はいささか乱暴な気もするのだけども。

ってか、もし職業教育と就職活動がリンクしてないのであれば、もう仕方ないんじゃないのかな。

まぁ生活力については別に思うところがある。 高校の頃、某有名大学を目指していた知人との話で出たのは、「小学生の時って、次の日の授業道具を前もって準備してたよね。勉強できる奴ってそういう基本的な生活習慣がちゃんとしていたのが殆ど」ってことで、大学入学の時点でもう結論が出ているというか。 それこそが「格差」たる所以なのだけども。 (全ては家庭教育に起因する)