デスマ洗脳

感情ってハック可能だよ
あるいは「生物学的」という語の非政治性の政治性
個人的には「政治」よりも「文化」のほうがしっくりくる。
思考を形成するのは「文化」であり、感情もその「文化」の文脈からは逃れ得ない。

著しく他者と関わらない文化・・・孤立度が高いものは時として極めて危険な方向へ「感情」を再構成する。
現実世界でもよくある事例は「デスマ慣れ」・・・「デスマ洗脳」ということだろうか。
リミッターの低い人

自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする
なんかやっぱり自転車部だなぁ、とは思う。
中小零細企業の人とかだとプロジェクトの火消しに呼ばれることも多いと思うのだが、限界を突破する回数を重ねるうちにデスマ洗脳されていくケースも多いのではないか。

別に「夜中に眠いのに無理して起き続けて仕事をする」みたいな非健康的な話をしているのではなくて、健康的な体を維持しつつ、体力もつけながら、精神的にも自分を鍛えて、仕事に集中できる質と量を高め続けていく、そういうことは最初の入り口で思うよりも遥かに奥が深い長い道のりだと思うということです。

元の文意ではデスマは想定してませんが。

ただね、精神において量的なものが質的に転化するとはちょっと考えにくい。
自分自身の話だと、過去について反問するのは、「なぜ限界を感じたのか」ではなくて、「なぜ気が付かなかったのか」という点のほうが多い。
そして、「気付きのなさ」を後悔する場合、「集中力の量不足」を原因として感じるのとはむしろ逆で、「思い込みにとらわれすぎていたのではないか。むしろ集中状態から距離を置き、何らかの気分転換を図れば気づけたのではないか」と自分自身で結論づけることが多い。
一晩寝たら、いいアイディアを思いついたとかそういうやつ。
思考がオーバヒート状態だったのをクールダウンさせる。

或いは、限界まで頑張ることを継続的に続けられれば、耐久力自体が向上し、なかなかオーバヒートしにくい体質にできるのかもしれない。
って方向性が誤れば、それこそデスマ洗脳。

僕自身、熟練者と未熟者を隔てるものは、最小の労力で最大の効果を発揮する「要領のよさ」だと思っている。
実際に学習できるものは「耐久力」ではなく「力の入れどころ、手の抜きどころ」なのだろう。