官僚制度のモデルはプロイセン

暴論:官僚システムを選べないことが問題なのではないか
政策立案機能を行政府から立法府へ
7/14の東洋経済で、「大隈重信福沢諭吉が求めた英米型社会 - このまま官僚制度を放置していいのか」という記事があったのを思い出した。

明治14年の政変の結果、日本はプロイセン型社会を選択。 ・官僚主導、官学優位の社会構造が築かれ、今日に続く。 ・だが、官僚制度の破綻は今や明らかである。

明治14年、伊藤博文薩長出身者らが主張するプロイセン型か、大隅重信、福沢諭吉らが主張する英米型にするか、という対立があったらしい。

ところで、二者にはどのような違いがあるのか。
英米型にはポリティカル・アポイントメントというものが存在する。

民意で政府高官を任命することは、国民から選ばれた政治家が官僚を任命することで、ポリティカル・アポイントメントと呼ばれる。アメリカでは、大統領が替わるたびに、日本でいうと課長相当職以上の官僚がそろって交代する。その数は約3000人ともいわれる。

日本は、

日本でもポリティカル・アポイントメントは存在する。(中略)だが、かつての政務次官が盲腸的存在と揶揄されたように、ポリティカル・アポイントメントの範囲は非常に限定的
飯田鼎慶応義塾学名誉教授は(中略)次のように指摘する。 「英米系の社会科学研究が盛んな慶応義塾や大隈が創立した早稲田の卒業生は官僚の世界から排除され、前者は財界に、後者は言論界に進出するに至った」
今こそ、大隈や福沢が目指した英米型の官僚システムを日本にも導入すべき時期ではないか。

同意。