自分の「プロダクト」にしないとやる気が出ない

なんか悶々とするのだけど、書きたいことがまとまらないのは暑さのせいなのか。

別にプログラマにならなくていーじゃん

いずれにしても情報サービス産業の過半を占める人月ベースの口入れ稼業では、米国くらいの待遇を用意することさえ難しい。日本のソフト産業というのは、製品ビジネスでいうと組版や会計のように非関税障壁で守られている領域が残っているが、既に囲い込まれている上に市場は限られているし、他は概ね受託ベースで付加価値の小さな世界である。日本に留まってソフト開発そのものの価値を売ろうとすると、しんどいし悪平等だし全く割に合わない。細かいところをみれば例外は散見されるし、そういう例外を増やしていくことは非常に大事だけれどね。

業界全体での最適化がされなさすぎ。
よくもわるくもそれなりに食えてしまうのだが、構造の維持(或いは開発プロセスという行為そのもの)に費用の殆どは回るから。

閉塞感というか悲鳴の続き。

魅力あるサービス開発ができる人間を新たに「クリエイター」とし、エンジニアとは別の職種であるとしました。クリエイターになるための基準を設け、その基準を超えることができた人間のみがクリエイターとしてサービス開発を担当するものとし、エンジニアは技術面でクリエイターの作り上げるサービス開発を助ける体制へと変更しました。

エンジニア => クリエイタとするキャリアパスを設定するのであれば、PG => SE というSIer業界の習慣を真似ているようでなんだか悪い夢を見ているようだ。
そして、PG => SE の場合、「全員がSEになっても一向に構わない」わけなのだが、前者の場合はそうはいかないのが大きな違いか。

「オレのプロダクト」を持たないとダメだな。
「自社開発」であっても「オレの開発」でない限り、仕事に待遇以上の価値を見いだすのは難しいと常々思う。
下手をすれば、顧客の笑顔という分かりやすい評価のある、受託のほうが満足度高いかもよ。