哲人政治の限界

あまり関係ないことを思いついた。 みな程々に頭が良くて程々にアホであるという話し

こういう話しがあって、なる程、この文章を書いた人が属する集団は完全完璧に頭が良いのだなーとか思ったわけですが、よくよく考えてみるとこれは嘘だろう。

そこかしこに「絶対的制約」(資源がないとか人生は一度きりとか)が存在する限り、哲人による政治が「完璧」ということはありえない。
制約があるが故に個々の要員の利害がぶつかるわけだし、調停の道筋をつけるのを政治の仕事と定義づけるのなら、「何が中庸なのか」を見定めるのが哲人の条件なのだろう。
そして、完全な中庸などありえないわけだし。

そもそも哲人政治を理論的根拠としてきた現在の官僚制度自体が怪しい。 官僚制度のモデルはプロイセン