何を不安視しているのかいまいちよく分からない

とりあえず個人的に考えるWeb屋って「Webの特性を利用したデザインを商売にしている人」と定義してます。

でだ、
そもそも、web屋って何?まだ存在してるんだ?
さようなら、ウェブ屋さん ありがとう、ウェブ屋さん。

色々とうすらぼんやりと。

個人的にはデザインよりシステム系の仕事・・・それこそプログラマのほうがやばい、とは思う。
海外からの流入には文化障壁という壁がないから。
あと、デザインと異なり、見てはっきりと分かる優劣の基準がない。
つまりそれは価値が判断できないということに等しく、個々の価値が判断できないということは単なる価格競争に陥るということを意味する。

ただ、Web屋というくくりにあまりこだわる人もいないと思う。
それは便宜上つけているラベルでしかないわけだし、Web「的」デザインが要求されるものは今後増えてはいくと思うし。
「前は『紙』やっていたけど、今は『Web』やってまーす」って人が一時期大量にいたように、Webじゃないものが主流になったとしても、そちらにスライドしていくのだろうな。

ただ、要求されるデザイン能力はある程度までなので、・・・なんというか、クライアントの需要を超えた能力はあまり意味がないし、そこに余剰な報酬を払うことはできないだろうし、だからデザインそのものの質の成長を追い求めていくのは限界がある。
都度都度トレンドを見極めることにより、「時代の先端を意識したデザイン」をできることが重要なのかなぁ。
ってこれはデザインに限った話ではなくて、職人性の高い仕事なら割とよくある話。
歳下の人間が独り立ちして自分と同じ水準まで辿りつくけど、自分の高い水準は「過剰な能力として」あまり受け入れてもらえないとか。

といいますかね、分業による専門家の育成、それによる質の向上というのは地獄への第一歩な気がしますけどね。

コンテンツの終焉
コンテンツに関しても、中間業者を全部排して、一人で全部やって始めてビジネスとして成立する、というレベルになるんじゃないのか。
アーティスト一人が生み出す経済効果がコンビニ一軒ぐらいまでに縮小するのではないか、とか。
音楽を聴く体験をよりよくする為になされていた「分業」が全て吹っ飛ぶわけだったり。

「そこそこのものをそこそこのレベルでそこそこの人々に提供する」ものを1人で提供するということは「生産性向上」という点で、それはそれで意味があるとは思うのだけど。
「業務プロセスが体系化し、アウトプットの質が向上する」というやりかたは必要とされるコストがどんどん高くなっていくことだし、そうなると「コスト的にできない仕事」が発生するわけなので、これはこれで危険な気もする。
(マスメディアやそれに付随する広告代理店など)クローズドな業界であればこういったアプローチは成功するのかもしれないが、でもなぁ。。。

新しい流れがないと不安になるのかね。
変化の度合でいけば、確かに一時期ほどの波が大きいものはないと思うよ。
ただ、例えば、建築家は何十年も前から建築家なわけで、そこに今のWeb程のダイナミックな流れもないわけだが、だからといって不安になることはないだろうし。
グローバリズムによる海外の安い労働力でどうのこうの?
デザインの世界って世代間競争はあれど、国際間競争ってなかなかやりにくいんじゃないのかしら。
そもそもインドってITエンジニアの輸出大国であれど、デザインは関係ないと思うのだけど、違うのかな。

職業にしても、ビジネスモデルにしても、急激に成長したものは、急激に無くなってしまう可能性を常に考慮するべき!


確かに。だから分業化はなおのこと危険。