努力という言葉から何を学べるか
なんか努力って言葉を過剰に嫌う人は結果にこだわり過ぎている気がする。結果が満たされてない焦燥感的なものを。他人の努力それ自身に意味があるとかないとかの価値を付与しているような。
なぜ努力という言葉が嫌いかと言えば、「努力が大事」と言う時、それは何も言ってないに等しいから。
「努力」という言葉は色んな状況の意味合いを含みすぎていて逆に無価値になっている。
「やるべきことをきちんとやっている」と言われたほうがまだピンとくる。
或いは「努力」という言葉は量的価値感をイメージさせるから。
質(属人的要素)を量(汎用的要素)に変換し、更に質(汎用的要素を更に効率化する)に変質させていくことが重要。