情報への接し方とか

いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった
烈しく共感~いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった~

いくつか思ったこと。

ヒマがなくなったのは年齢のせいだったり社会的位置づけの変化かなぁなんて思ってたのだが、
もしかすると時代的なものだったりするのかな。
ってことは今の若者もヒマじゃないってことか。

それと情報カロリーの高低について。

おそらくここで示されている高低は「とっつきやすさ」だと思うのだけど、
情報の価値が「高い」と判断されるのは、
「高密度」「権威」「学術的」「新規性」「技巧」
とかそういう要素かなぁ、とか。

ってか、まぁ究極的には情報の価値は相対的なものにしか過ぎないわけで。
教育問題とかも子供の有無で重みが変わってくるでしょ。

なんというか「共通な問題」「私的な問題」ってあると思うのだが、
どのみち「重みづけ」という一点で問題に対する個々の振舞は決定づけられそうな気がするんだけどね。

思うのですけどね、情報に対する基礎力が確定されたら、あとは自分の興味に委ねてしまっていいと思うのですけどね。
「ヒマがないなぁ」と感じ始めたら、単なる義務感だけだとダメで、自分の興味のあることしか身につかなくなると思うけどどうなんだろ。

ってか活字文化離れが起こっているとは思わないけど、活字信仰って急速に衰退しているでしょ。
「本は全部読む必要はない」とか。
時間コストの重要性が上がってきて、リターンがあるか否かってのが重視されている気がするけど、どうなんだろ。